そんな慣れきった空間に、予想もつかぬ言葉が投げられた。
「ちょっと待って。」
抑えた理奈の声は、その場を緊張させる。
何があったんだ、浩一は目でそう問うた。
すると、理奈は靴を指さしながら一言。
「この靴、私のじゃないのよ。」
理奈のではない女物の靴。しかも、若い子向け。
…お客様だろう。
「伸行の彼女か?」
「おそらく、そうでしょうね。」
それしかないことはお互いわかりつつも、慎重に確かめあった。
しかしお互い、納得いかない部分があったのも確かである。
一見、人のいる気配がない。
目の前にあるリビングの明かりは当然消えている。玄関や戸口の明かりももちろん。外から見たときには、誰もいないようにしか見えなかった。
「理奈のところって、グリーンピースの活動員だっけ?」
「残念ながら違うわね。行動の過激さではいい勝負だけど。」
「じゃぁ、ジャパンレッドアーミーか?」
「それもハズレ。何はともあれ、現状はレッドクロスでしょうね。」
「それは保健衛生だろ。保健体育とは似ても似つかないぞ。」
普通の人が聞いたらまず理解できないであろう、飛躍しすぎのジョークが静寂に飲み込まれていく。加速していく二人は今、最高に楽しいクリスマスを迎えた。
「やっぱりそうかしらね。」
「耳をすませば、二人の歌声が…。っと、ほぅら、間違いないな。」
「バカ、違うわよ。ハッキリとシャワーの音が聞こえるでしょ。そうか、だから気付かなかったのよ。」
現在侵入中の片山邸は設計上、バスルームの明かりが面した道からわからないようになっている。そして玄関からも、その明かりには気付かないようになっているため、二人はさっぱり気付かなかったのだ。
「既成事実を作りやがったな。せっかく俺が奪ってやろうと思ってたのに。」
「何を言ってるの。ほら、あがりなさいよ。」
半分本気で言った浩一をあっさりと交わし、理奈はリビングへ入っていった。
理奈にしてみれば、大切な弟。浩一の冗談半分すら気に障ったのかも知れない。
「わかったよ。でも、二人に気付かれないか?」
気付かれて後ろめたいことなど何もないが、向こうとしてはきっと困る。浩一はそう考えていた、そして、理奈もそう考えていた。だからこそ、理奈は黙っていられなかった。
「私たちがいたら、きっと困るでしょうね。…楽しみだわ。さぁ、ディナーを用意して、待ちかまえてあげましょ。」
真打ち登場。本当の悪人は実の姉、理奈だったりする。
「お代官様も悪ですな。」
「越後屋、お主ほどではないぞ。」
訂正。本当の悪人は二人である。
「ぁ、そうそう、パジャマを貸してあげようかな。多分、持ってきてないだろうから。」
明るいキッチンで、料理をしながら理奈は言った。
「イヤと言うほど親切な義姉だな。きっと好かれるぞ。」
明るいダイニングで、食器を並べながら浩一は言った。
「でしょ。私の部屋にある引き出しの、一番下の段の右側にあるわ。」
勝手知ったる何とやら。
引き出しこそ開けたことはなかろうが、浩一も理奈の部屋には慣れている。実は、誰にも見せられないあんなものやこんなものを、どこに隠しているか知っているくらいに。…やっぱり引き出しを開けた経験もありそうだな。
「了解。他は覗かないように心がけるよ。」
そんなこと、さっぱり思っていないに違いない。
「覗いたら殺してあげるから安心してね。」
当然、浩一の行動はお見通し、信じてないに違いない。
しかし、今の二人はいつもとひと味違う。ここで絶妙な連係プレイを魅せなければ、敵を落とすことはできないのだ。
浩一は颯爽と階上へと向かい、理奈は手早く鍋をかき混ぜていた。
「こんなものかな。時間がなくて、缶詰スープしかできなかったけど。でも、そのキャンドルの綺麗さでフォローできてるわね。」
テーブルの上に並べられた数本のクリスマスキャンドル。
キャンドル自体はただの非常用蝋燭だが、燭台がつくと立派になるものである。
「上出来だろ。そうそう、パジャマ、バスタオルと一緒に風呂場の前に置いておいたから。」
完璧ね。
理奈も浩一も、お互いの作業を確認しあい、勝利の美酒を目の前にしていた。
「バスタオルって、浩一、他の引き出しも開けたわね?」
「ご名答。なかなか可愛い趣味してるな、理奈ちゃんったら。」
そんな小さな諍いの火種が、大きく燃え上がることはない。
お互いの目は、明らかに違う方を向いていた。
「仕方ないわね。秘密にしておいてよ。」
「了解。言ったら殺されそうだしな。」
そう、大きく燃え上がる、目前のターゲットのためだ。
そんな決戦の時を前にして、緊張が走る中、浩一はつぶやいた。
「理奈みたいな姉がいると、彼女選びも大変だろうな…。」
おそらく、姉にかなう美人などそうはいないはずだ。
そんなとき、弟はどういう女に走るのか。
「もし私のことを綺麗だと思っているなら、可愛い方に走るでしょうね。」
姉を抱く。
普通の弟なら、想像するだけで吐き気がするだろう。
「童顔か。悪くはないな。」
「そうね、楽しみ。」
この二人、風呂上がりのカップルを生け捕りにする気だ。
緊張が走る。決戦の時は、もう、すぐそこ。
−−ガチャン、ガラガラガラ……
バスルームのドアが開いた。
もらったぁ!
二人は心の中で叫びつつ、同時に前へステップ。
次の瞬間、脱衣所へ通ずるドアをオープン。
「メリークリスマス、小さな恋人たち。」
「ようこそ片山邸へ。」
「ひゃっ!」
「へぇ? ぇ、あ、姉さんっ!」
ミッション成功。
二人は大喜び、そして二人は驚きのあまり座り込んだ。
「それにしても伸行、あんた犯罪じゃない?」
おそらく伸行たちが買ったのであろうシャンパンをグラスに注ぎながら、理奈は不敵な笑みを浮かべる。
「ポケット六法、いるか?」
グラスに注がれるシャンパンを眺めながら、浩一も不敵の笑みを浮かべる。
そんなお姉さんお兄さんに、弱り果てる伸行。
そして、おびえた瞳が似合いすぎる、伸行のちっちゃな恋人さん。
「そ、そんなことないよ、ね、美瑠ちゃん、同い年だよね。」
息継ぎに失敗しつつも言い訳をする伸行。
苦し紛れの言い訳など、誰も信じない、わけでもなかった。
「ちょっと、冗談でしょ?」
「おい、ホントなら俺によこせ!」
同じ女性である理奈は、伸行の相手が中学生以下であろうことを確信していた。自分の身体の成長過程に、さっき見た彼女の体型を照らし合わせたのだ。
一応普通の男性である浩一は、今までに付き合った女の子も数人いた。その子たちの誰と比べても彼女が幼いことから、やはり中学生くらいだろうと考えていた。
しかし、事実は小説より奇なり。
…と、言葉の使い道を誤りそうなくらいの回答が返ってくる。
「ぁ、はい…。私、十七です…。」
うつむきながら答える彼女に、お姉さんお兄さんはびっくりだぞ。
びっくりした二人は、次の瞬間、その瞳に同じ輝きを宿した。
こいつは楽しくなりそうだ。
シャンパングラスを手に取り一気にあおると、二人同時に口を開く。
まるで、聖歌隊が賛美歌を歌うように。…むしろ、罪人の懺悔か。
二人の、イヤ、四人の長い夜は始まった。
そして、楽しいクリスマスは始まったばかり。
ささやかなあとがき。
日本標準時では日付変更線越えたけど、私の中ではまだ二十三日。
この作品に登場した人名、団体名等はすべて架空のものです。